ジャグラーが全国のホールの看板機種となって久しいですが、こんな言葉を聞いたことはありませんか?
「ジャグラーはREG後128G以内にペカる可能性が高い」と。
これは実際北電子の営業の方のインタビューで出たことがある話だそうです。
ということは、ただのオカルトという訳ではなさそうです。
インタビューの内容
インタビューの内容を完璧に覚えている訳ではないですが、このインタビューは今から10年以上前の話だったと記憶しています。
ヒット台の製作秘話的な扱いでした。
当時、北電子にはヒット台がなく(今では信じられませんが)、開発チームに今回インタビューに答えた営業の方を加え、社運を懸けて生まれたのがジャグラーだということです。
これ、10年前の話ですからね?
当時のジャグラーの様子
少し余談ですが、当時自分がパチスロを打ち始めたばかりの頃にかろうじて初代ジャグラーもホールに残っていました。今回のインタビューの主役です。
このジャグラーはショートリールで(幅が今のリールの半分くらい)非常に見辛く、正直目押しは今の台の非にならない程難しかったです。MAXBETも無かったので、1枚掛けを毎回3回押した後にレバーを叩くという仕様の台でした。
GOGOランプも本当の豆電球を使っているのではないか!?と思うほどぼろく(実際豆電球かも)、初めて見た時は他の台と並んでいるのにもかかわらず、パチスロ台ではなくゲーセンの機械を置いてあるのかと思ったほどでした。
そのジャグラーが実際は流行ったのですが、流行ったといっても多いホールで2島くらいのもので置いてないホールもありました。
AT機やストック機が全盛期だったのでAタイプマシーンが少なかったのではないか?というとそうでもなく、様々なAタイプの台がある中でやっとその中に入れるというような印象でした。
個人的な印象ではその当時最も流行っていた機種はニューパルサーで、お年寄りはみんな「カエルを打ちに行こう」といった具合でしたね。
REG後128Gにペカりやすいという話
本題に話を戻しますと、その時営業の方がおっしゃるには台を製作する際に複数の基盤(当りを抽選する大元の装置)でデータを取り、その時にREG後早い段階でボーナスが引けた基盤をホールに導入する台に採用するようにしたと言うのです。
ただし、スペック的な違いは無く(機械割が同じなので当然ですが)、あくまで膨大な試行を繰り返した際にREG後すぐにペカった基盤を使用したということらいしいんですね。
営業の方曰く、パチスロはREGを引いた後どうしても打つ動機が無くなってしまうことが多く(獲得枚数が少ないですからね)、それをどうにか解消するという目的でこのようなことをしていたというのです。
なんともユーザー目線で好感が持てる話ではありませんか。
これがREG後128G以内にペカりやすいという話の舞台裏だったんですね。
当時流行ったストック機ではないジャグラーは意図的にボーナスを出すことはできません。ですのでジャグ連はその時の打ち手の運以外の何物でもありません。が、この話を聞くと何やら違う力が働いていると思わざるを得ません。
その魂が現在へと引き継がれ、5号機屈指の名機シリーズの座を得たのかもしれませんね。
実際にREG後128G以内はペカりやすいのか!?
結論は、、、「そんなことはない!!」ですね。夢を打ち砕くことを言って申し訳ないですが、これが現実だと、、、思います。
もし仮に128G以内にペカりやすかったとしたら、その帳尻を合わせるためにペカりにくいゲーム数が存在することになってしまいます。そしたら、それはもう毎ゲーム同じ確率で抽選しているAタイプではなくなってしまいますからね。
さらに薄弱な根拠となってしまうかもしれませんが、自分がもう散々試しているんですよ。
当時の自分は大学生で純粋なこともあり、この北電子の営業の方の話を聞いた時にピンときまして、REG後128G以内のゾーン狙い(笑)を繰り返していた訳です。
結果はトータルで負け(笑)低設定を長いゲーム打ったなという感じでした。
この北電子の営業の方の話は気休め程度に受け取り、財布に余裕があって、ジャグラーを楽しめるような状況でREGを引いた時に思い出して、1回1回のレバーに気持ちを込めて大切に叩くことのできるエピソードとして考えるのが良いかと思います。
パチスロにはオカルトが多く存在します。そのオカルトも度を超さなければ、パチスロをより楽しむことのできるスパイスとなるのではないでしょうか。
コメント
初代ジャグラーは豆電球ですよ
緩めてモーニング入れてる店とか
当時あったから(笑)
6枚交換位の店だったかな
花火、大花とかにもモーニング入ってたけど、1時間後にしか交換出来ない+持ち玉移動不可とかの縛りはあったかな
コメントありがとうございます!
初代ジャグラーをみなしで置いていた世代ですが、あの豆電球と1枚掛け3回プッシュが懐かしいです。
リールの狭さも相まって、目押が鬼のように難しく感じたものです。
自分が行っていたホールは気付かなかっただけかもしれませんが、モーニングはなくパルサーやめんその裏モノだらけでした。