【依存してるからわかる】パチンコに依存してしまう人の特徴

パチンコ

「パチンコ依存」は社会問題となっているが、世の中の意見を見てもいまいちピンとこない。

なぜなら、パチンコをやったことのある反対意見保持者が圧倒的に少ないからだ。

パチンコを語る人に対して

自分がなぜパチンコを打つのか?たとえオレがパチンコ依存症だとしても、そんなことは他人に言われたくない。

なぜなら、自分のことは自分が1番良くわかっているつもりだからだ。

あなたが仮に世の中一般から見たら、悪習を持っているとしよう。この時、他人からあれこれ分析され、知ったような口を聞かれたらどうだろうか?

良い気はしないと思う。

パチンコが好きで、どうしても行きたくなる衝動を抑えられない。その理由を語ってんじゃねえ!と自分は荒ぶってしまう。

しかし、パチンコへの依存が社会問題となっているのは確かである。

なので、自分の率直な気持ちを言葉にしようと思う。そこから、パチンコへ依存する人間の特徴を見つけてほしい。

また、類は友を呼ぶという言葉がある通り、自分の周りには依存症、もしくは依存症予備軍がうようよいる。

その人達もどこか共通するところがあるのかもしれない。

オレの場合

オレは収支アプリを使って、収支を1日単位でメモしている。

それによると、年間で300日くらいはホールに通っていることになる。

改めて見ると、ものすごい数字だということに気がつく。これを10年以上も続けているのだから泣けてくる。

思えばこの10数年、ホールに行くために色々なことを犠牲にしてきた。

限られた自由になる時間をほぼホールに行くためだけに使っているのだから当然だ。

そのオレが、なぜホールへ行くのかということを自分の胸に問いかけ、入店する直前の気持ちを思い出しながら書いていこうと思う。

ちなみに現在は8~18時の間は仕事をしており、土日祝日は休みで、平日は帰り道のパチンコ屋を覗き、休日は朝から行くこともある。

平日の仕事帰りは開放的だ。多くの人が早く仕事を終え、家路につきたいと感じているだろう。自分もその1人である。

自分の職場はアットホームで居心地が良い。しかし、そんな職場であったとしても、ストレスは溜まるのだ。

そのストレスを何で発散するのか?それがパチンコである。

行けば、金を失うリスクがあることは誰よりも承知しているつもりだ。

長年パチンコを打っているので、期待値やボーダー理論も知っている。だが、都合良く帰り道に期待値がプラスの台、特にパチンコで期待値がプラスの台は落ちていない。

回る台などオレの中では都市伝説だ。でも、打つ。今日も打つ。明日も打つだろう。

さすがに完全アバウトに打つことはないが、期待値がマイナスであったとしても、なるべく軽傷で済む台を見つけて打つ。

バカだろう?バカだと言われても仕方ない。後で考えたら自分でもバカだと思う。

では、なぜ打つのか?

当たった瞬間が最高に気持ち良いからだ。その刹那に弾ける感覚を味わうために打っているのである。

その一瞬には日常の嫌なことを忘れさせる効果があるのだ。

パチンコの当りは台にもよるが、簡単ではない。数100分の1の抽選を突破しないと、味わえないのである。

言わば、日常において、非日常を経験する数少ないツールのひとつなのだ。

一般的には、大勝した記憶が脳裏に焼き付いて忘れられないと考えられているようだが、そうではない。

確かに勝てば、嬉しい。だが、それにも増して、当たったという事実自体が嬉しいのである。

「負けなければ良い」

これはパチンコを良く打つ人のセリフである。

大勝を狙っている人が発する言葉に聞こえるだろうか?

そう、オレ、彼らはパチンコを打つという行為、もっと言えば、非現実的な当りを強烈に実感するためにホールへと足を運ぶのだ。

パチンコ屋に行けば負けることなど、玄人気取りの素人に言われなくとも、依存症と呼ばれる我らは知っている。

これは、はっきり言って、セキララ白書である。

本気の本気で、1週間考え抜いて、自分の気持ちを書いている。

これが、依存症であるオレのパチンコを打つ理由である。

周りの人の場合

人のことをわかったように言うな!というような発言をしておいてあれだが、周りの人についても見てみよう。

29歳のAと36歳のBのがいる。

彼らは特に良く行く連中である。

Aの場合

Aは最近彼女ができたが、つい最近までは独り身であった。

彼は不規則な仕事をしている。所以に他人と時間が合わない。

その時間を埋めるかのように、休日をパチンコ屋で過ごしている。

そして、彼が良く言うセリフは

「負けなければ良い」

だ。

Bの場合

Bは数年前に結婚し、今は1歳になる愛娘と奥さんと仲睦まじく暮らしている。

順風満帆な生活に見える。

だが、現実は仕事と家族サービスに追われる囚われの中年と化している。

彼はそのストレスを軽減するため、自由になるほんの僅かな時間をパチンコ屋で過ごしている。

そんな彼の口癖は

「負けなければ良い」

だ。

まとめ

どうだろうか?イメージ通りの結果だっただろうか?

そう、依存している人の特徴は「勝ち」に行って「負ける」という、「ミイラ取りがミイラになる」的なものではない。

むしろ、負けるのはある程度承知の上で通いつめているのだ。

なぜなら、そこには日常にはない何かがあるのだから。

ただし、金銭を賭けないと成り立たない。

矛盾していると感じるだろうが、依存症の人間からすると矛盾していない。

パチンコが好きなら、買って家で打てば良いと言う人がいるが、全くわかっていない。

それも含めて非日常なのだ。

失うはずだった金を失わずに済んだ。

これを非日常と言わずして何と言う?

この生還したという感覚も、「気持ちいぃ~」瞬間なのだ。

この感覚を忘れられない人が多いと思う。実際、あまりにも出過ぎたら(勝ち過ぎたら)かったるくなるのである。

これは、打たない人には理解できないだろう。

ならば、パチンコ業界は規制があったとしても、安泰じゃないのか?というとそうではない。

こうなるまでに、幾数年の経験が必要になるからだ。

規制は今依存している人を救うものではない。

今依存している人は見殺しにして、まだ依存していない人、パチンコを打った経験が少ない、または無い人を依存させないためのものである。

「入口を塞ぐ」ものだと言える。

だから、オレは反対する。

打たない人が減れば、ホールを支える1人あたりの負担額が増加するからだ。

これは自明の理である。

少し話が脱線したが、依存している者の考え方は概ねこんなところであろう。

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