【おじさんのセキララ白書】パチンコ依存者が語る、本当の理由

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パチンコ

パチンコ依存、この言葉を聞くと、多くの人は「お金を失うことがやめられない人たち」というイメージを持つかもしれません。しかし、現実はもっと複雑で、個々の心の中にある切実な理由が隠されています。

今回は、私自身がなぜパチンコを打ち続けるのか、そして私の周りにいる仲間たちが何を求めてホールに足を運んでいるのか、その率直な気持ちを「おじさん」目線で語っていこうと思います。

なぜパチンコへ行くのか?

平日の仕事帰り、仕事のストレスから解放されたいと願う気持ちは、多くの人が共感できるのではないでしょうか。私にとって、そのストレスを解消する手段がパチンコなんです。もちろん、お金を失うリスクがあることは百も承知しています。長年の経験から、期待値やボーダー理論も知っていますが、正直なところ、帰り道にそんな”お宝台”が落ちていることなんてまずありません。

それでも、私は台を選んで打ちます。なぜなら、その先に「最高の瞬間」があるからです。


当たった瞬間の「刹那の弾ける感覚」

一般的に、パチンコをやる理由は「大勝ちの記憶が忘れられないから」だと言われますが、私にとっては少し違います。たしかに勝てば嬉しい。でも、それよりも何よりも、「当たった」という事実そのものが最高に気持ちいいんです。

この感覚は、日常では決して味わえない「非日常」の体験です。何百分の1という厳しい抽選を突破した瞬間に訪れる、あの興奮と高揚感。それは、日々の嫌なことをすべて忘れさせてくれるほどの強烈な快感なのです。

「負けなければ良い」という言葉は、大勝ちを狙っている人の言葉ではありません。これは、「打つ」という行為、つまり「非日常的な当たり」を強烈に実感するためにホールへ足を運んでいる、私たちのような人たちの本心なんです。

依存症を巡る誤解

世間では「パチンコ依存=ミイラ取りがミイラになる」というイメージがあるようですが、それは違うと私は思います。私たちは、負けるかもしれないとある程度承知した上でホールへ行っているのです。なぜなら、そこには日常では得られない特別な何かがあるから。

そして、この行為には「お金を賭ける」ことが不可欠です。矛盾していると感じるかもしれませんが、私たちにとってはそうではありません。なぜなら、「失うはずだったお金を失わずに済んだ」という感覚こそが、もう一つの「気持ちいぃ~」瞬間だからです。

この「生還した」という感覚は、家でゲームをしても味わえません。パチンコホールという特殊な空間で、金銭的なリスクを負った上でしか得られない、一種のサバイバル体験なのです。


依存症の共通点と規制への違和感

私の周りにも、私と同じような気持ちでパチンコを打つ仲間がいます。29歳のAは、不規則な仕事の時間を埋めるようにホールに通い、「負けなければ良い」と言います。36歳のBは、仕事と家庭のストレスを解消するため、わずかな時間をパチンコで過ごし、同じく「負けなければ良い」と口にします。

彼らの言葉からわかるように、依存している人たちは皆、日常にない刺激やストレスからの解放を求めているのかもしれません。そして、その共通の口癖は「負けなければ良い」なのです。

「パチンコ規制」は、確かに社会問題を解決するための策でしょう。しかし、それはすでに依存している人たちを救うものではなく、「これからパチンコを始める人たち」の入り口を塞ぐものだと感じています。

この規制が進めば、ホールの経営は厳しくなり、一人あたりの負担は増える。これはパチンコを愛する者としては、正直複雑な心境です。

今回の記事は、パチンコ依存者が何を考えているのかを赤裸々に綴ったものです。私たちの考えは、もしかしたら世間一般とはかけ離れているかもしれません。でも、これが私たちがホールに通い続ける、紛れもない理由なのです。

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