皆さん、こんにちは。おじさんです。
今回は、少しネガティブな、でも私にとっては非常に大切な思い出についてお話しさせてください。
今から20年以上前、私がまだ20歳くらいの頃の話です。当時、社会に出ることへの漠然とした不安と、束縛されたくないという甘えから、「パチンコやパチスロで生計を立てられないか?」と考えていた時期がありました。
そんな私に、ある日、友人が投げかけた言葉があります。
彼は今、日本有数の大企業に勤め、その後独立して会社を経営しているような人物です。そんな彼に言われたのが、**「パチンコやパチスロで生活するのは、できたとしても、それは生産活動ではないから、社会にとって良い行いではないんじゃないか?」**という言葉でした。
当時の私は若かったので、その言葉の意味を深く考えず、聞き流していました。しかし、今になって振り返ってみると、その言葉は私の中にある核心を突いていたのだと気づきます。
パチンコ・パチスロで勝つことは、誰のためになっているのか?
冷静に考えてみましょう。パチンコやパチスロで生計を立てることは、確かに可能です。努力と知識を駆使すれば、ホールからお金を得ることはできます。しかし、その活動は誰に価値を提供しているのでしょうか?
ホールは、お客さんにエンターテイメントという価値を提供し、その対価としてお金を得ています。しかし、ハイエナや期待値稼働で生活している人たちがやっているのは、言ってみれば「お客様が落としたお金」を拾っているにすぎません。
私たちは、ホールに対して何かを生み出しているわけでも、他の誰かに喜びを与えているわけでもありません。ただ、自分のためだけに労力を費やし、お金を得ているのです。
もちろん、人々の生き方は多様であり、「何が正しくて、何が悪い」と一概には言えません。しかし、この活動の本質は**「何も生み出さない」**という点にあると思います。
「人に誇れない」活動で自分を苦しめないか
パチンコやパチスロで生活することは、煩わしい人間関係に縛られることなくお金を得られるため、一見すると楽な生き方に見えるかもしれません。
しかし、「あなたは社会に対して何を提供していますか?」と聞かれたとき、何も答えられない。それは、この先もずっと自分を苦しめることになる可能性をはらんでいるのではないでしょうか。
私が当時、聞き流してしまった言葉の本当の意味は、**「それでもいいから、本当にその生き方を選びますか?」**という問いかけだったのかもしれません。
これは、パチスロで生活している演者さんや、情報発信を通じて多くの人に価値を与えている人たちを否定するものではありません。むしろ、彼らはパチスロというエンターテイメントを通じて、社会に価値を提供していると言えます。
私が言いたいのは、あくまで**「パチンコやパチスロを打つことだけ」でお金を得ている人たち**についてです。
もし今、当時の私と同じように、パチンコやパチスロで生計を立てることを考えている方がいたら、この「誰のためでもない活動」が、いつか自分を苦しめてしまうかもしれないという点を、十分に理解した上で選択してほしいと願っています。


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