【4号機時代】横浜駅前の伝説のスロ専で行われていた周年イベント【懐かしきあの日々】

パチスロ

皆さんこんにちは。

19歳の頃、初代北斗の拳に出会い、40歳になった今でもパチスロを打っているおじさんです。

今は稼働地域を変えましたが、その昔、横浜駅前で青春時代をパチスロに捧げました。

その横浜駅前には今でも存在する「伝説のスロ専」があります。

その伝説のスロ専を回顧厨が回顧します。

伝説の設定6ローテーション

このホールの周年イベントは凄まじく、一週間かけて行われました。

月曜~金曜にかけて、一つの機種、一つの島丸ごと設定6をローテーションさせます。

そのころの主力機種は

「初代北斗の拳」「猪木自身がパチスロ機」「猛獣王」「ガッツだ!森の石松」「吉宗」等

そうそうたるラインナップです。

設定6の機械割は120%のものが多く、一つの島を全6にするとホールが数百万の赤字になります。

それ程出してもホールが儲かっていた時代なのです。

夢がありますよね?

当時は営業メールも送り放題だったので、高設定の予測は驚くほど簡単でした。

設定6を掴めば5,000枚は固く万枚も射程圏内ですので、抽選ではありますが打ち切りにあってしまうため夜通し並ぶこともザラでした。

北斗の拳はその当時、ホール入口に2つの島(14台×2)があり、1/2で全6島という天国と地獄の配分でした。

当時、猛獣王を7台全台設定6にした時は、万枚4台、2万枚3台と途轍もない光景が広がっていましたね。

今でも「あの頃もっと上手く立ち回っていれば!!」と夢に出てくることがあります。

それ程に凄かったのです。

まとめ

今回は、たまたま横浜駅前の「伝説のスロ専」を思い出したので記事にしました。

あの衝撃は今でも思い出す程です。

過去は美化されると言いますが、それを凌駕します。

ですが、冷静に思い返すと、高設定を掴むのは無茶苦茶難しかったと思います。

今ほどルールが整備されていなかったので、中華系の人間が家族や親戚を連れ立って、イベントの度に20人程で抽選を引いていましたし、

本当のアウトローの方達も抽選に引き子(ホームレス?)を連れて抽選に参加していました。

数の暴力で、ひとりで動くと相対的に良番を引けることも少なく、悔しい思いが多かったように思います。

先程も書きましたが、当時はメールでの広告の規制がありませんでしたので、狙い目も筒抜けでしたしね。

ただ、もう一度、ほんの少しだけで良いので、当時に戻りたいと思う今日この頃です。

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